前回までに京都、奈良と、匠の技が極まるモノ作りを紹介してきた。
さて今回は、少し視点を変えて異業種グループのこれからについて触れてみたい。
よく、私のことを「異業種グループの仕掛人」等と、異業種グループの代表選手のように言われることがある。
しかし、何も特に変わったことをしているわけでは無い。
これまで何度も頭を打ちながら、手探りで継続してきただけだ。
この、「継続する」ということが至難の業であることを、私は身を以て体験してきた。
会社でもグループでも、まず立ち上げることにエネルギーを費やし、活性化し、そしてやがては衰退していく。
これは人生とよく似ているように思う。
しかし、人の一生はその人一代限りだが、会社では代表者が交替することで何代でも続けることは可能だ。
これは駅伝競走と同じようなものだから、バトンタッチさえうまくいけば続くものだ。
私の例でいうと、本業の(株)シナガワはお陰さまで創立40周年を迎えることができた。
よくもまぁ、ここまで続けることができたものだと思う。
これまでには、何度も「もうダメか!」という事態に遭遇した。
ざっと思い返すと、オイルショックやバブル崩壊の時がそうだった。
しかし、そういう時こそあきらめないという強い気持ちが大事だ。
経営者の強い気持ちと社員の気持ちが一丸となった。
そして銀行からの支援もあった。
結果、なんとか乗り切ることができた。
このときにのエピソードは、拙著「東大阪元気工場 (小学館文庫) 」に詳しく記してある。
もしご興味があれば読んでみて欲しい。
そうは言っても、異業種グループも寿命はある。
ズバリ、組織寿命のピークは10年。
最長でも17~18年が限界だと思う。
それを過ぎる場合、それまでに代表者が交替し、組織の目的が時代に合わせて変わっていけば続く可能性はある。
しかしその転機を無事迎えない場合は、組織そのものは形骸化していく。
形骸化してしまった組織は、衰退していくしかない。
つまりは、永続的に続く組織として運営したい場合は、運営テーマごとに組織を作り、その目的を全うすれば解散する、という仕組みを作ることが重要だろう。