ロダン21はこの13年間、様々な成功と失敗を重ねながら、実践的なモノ作り異業種交流グループとして活動してきました。中小企業の異業種連携は、時代のニーズに細かに対応できる機動力、総合力が強みであると実感しています。
しかし、その企業を動かし、技術を磨き上げているのは「人」です。
品川隆幸自らの体験談を交えながら、これからのものづくり・人づくり、町づくり、異業種交流について熱く語りたいと思います。
日本のモラルが地に落ちていったのはいつ頃からだったか。
恐らく、第二次世界大戦以来、戦後からだったろう。
日本は経済発展を遂げたが、その反面拝金主義が蔓延し、日本人の多くがよりお金を求めて都会へと移動した。
その時期に工場が都市部に集中的に建てられ、日夜せっせとモノ作りに明け暮れた。
そしてその結果、価格競争は激化し、そこに働く従業員の多くは没個性化して単なる労働力となってしまった。
しかし、振り返ってみると戦前の日本はどうであったろうか?
私自身は戦中生まれであるが、物心ついた頃には物資に恵まれず、常に腹を空かせていた記憶がある。
そんな戦後の混乱期の中で、子ども時代を過ごしてきた。
しかし思えば貧しくはあるが、明るく楽しい思い出はたくさんあった。
以下に、私の子ども時代にはあったが、今は希薄になったと感じる事柄を挙げてみた。
ここのところ毎日のようにテレビでは一流ホテルの経営陣が頭を下げている。
「どうもすみませんでした。」と大の大人が揃って頭を下げる様子を、子ども達は見ているはずだ。
なんと情けないことか。
なぜこのような事態があちこちで起こっているのか。
まさか、大の大人達が揃いに揃って善悪の判断がつかなくなっているわけでもあるまい。
恐らく、一流企業と言われる経済者達は、優秀な学歴の持ち主のはずだが、一体何を勉強してきたのか。
企業は利益を出してこそ、その存在意義がある。
このことは自明の理である。
しかし、だからといって手段を選ばず何をしても良いという訳では決して無い。
善か悪かの判断は、企業が存続する上では外す事のできない指針であるはずなのだ。
だが、善か悪かの境目は、見る側の立場の違いによって異なる場合がある。
そしてそれを判断するのは、所詮人間である。
判断を間違う事もある。
したがって、一刀両断に善悪の物差しではかりきれない事象もやむを得ずあることだろう。
だからといって絶対にしてはならないのが虚偽、すなわち嘘をつく事である。
これは道徳として昔から当たり前のように受け継がれてきた常識であったはずだ。
私の社長復帰に伴い、専務と工場長、そして何名かの役員がその責任をとるために
会社を去った。
そして息子二人を本部長に据えて、新生シナガワがスタートを切ったのが
2010年の4月の事だった。
まずは、経営体制の再編として、統轄本部の人事にメスを入れた。
年配の役員がいなくなったのを良い事に、一気に若者だけの経営にシフトした。
そのため、経営会議には私は参加しないことにした。
代わりに都度議事録で報告してもらうことにした。
これは、若い者達で何事も考え、決断させるためにあえてそうしたのだ。
最初は何かとぎこちなく、そして頼りなかった若者陣も、だんだん板についてきて
スムースに事が運ぶようになってきた。
しかし、そんな彼らにとって一番難しいのは人事だろう。
なんせ相手は人だから、指導、説得、決断と、難しい場面に直面する。
だが、ここで私が手取り足取り教えては元の木阿弥。
彼らの成長を妨げてしまう。
とにかく場数を踏んで体全体で体験し、後は時間が解決してくれるだろうと願う。
先日人から「歴史は何かの形で残しておいた方が良い。」とアドバイスを受けたので、
「クリエイション・コア東大阪」の誕生エピソードを書いておこうと思う。
これは、私がまだ今よりも少し若く、今よりも血気盛んだった頃に体験した出来事だが、
一人の人間の思いが国をも動かすという貴重な
体験だった。
東大阪の普通のゴム屋のおっちゃんである私が、「モノ作りをまとめて見せる展示場と、
その活動拠点が欲しい!」と国に嘆願したことが
発端となり、国から巨額の予算が降りて実際に建物が出来たのである。
今のような時代の変化が激しい時代には、一人の人間の思いや力は決して小さくはない。
まず一歩を踏み出せば、山でも動くのだ。
そのほんの一例として紹介したいと思う。
さて、「クリエイション・コア東大阪」とは、
製造業が多く集まる東大阪を代表するモノ作り支援拠点として存在している。
現在は通称MOBIO(モビオ)と呼ばれている建物だ。
MOBIO(モビオ)とは、「モノづくりビジネスセンター大阪
(Monozukuri Business Information-center Osaka)」の頭文字をとって
つけられた名称だ。
モノ作り企業の技術のマッチングを目的とし、
人と技術の縁結びの拠点として活動している場所だ。
ここには行政機関である(独)中小企業基盤整備機構や大阪府ものづくり支援課、
地元東大阪商工会議所等が入っており、様々な支援策を行っている。
また、行政関係機関やNPOがワンストップサービスセンターを設け、
都度モノ作りの相談に応じる窓口を開いている。
モノ作りの支援窓口とそれ以外にも、200ブースの常設展示場、
起業家が集まるインキュベーションオフィス、
16大学1高専が窓口を開く産学官連携相談窓口等が併設されている。
私が当初イメージしたモノ作り支援拠点とは幾分違いはあるが、
それでも国内でこれだけの設備を
伴ったモノ作り支援拠点は例がない。
そんな支援拠点である「クリエイション・コア東大阪」
がどのようにして出来たのかを書いてみたい。
現在は「テクノメッセ東大阪」という名称になっている。
モノ作りの町東大阪をアピールするのがその主な目的だ。
昨年は第25回目で、11/7、8の二日間に渡って行われた。
会場は大阪本町にある「マイドームおおさか」で、二日間の来場者は約10,000人。
出展者は83社だった。
ここ15年は、入場者数は平均12,000人余りで、10,000人を切った事が無い。
いつも大入り満員である。
今年も東大阪商工会議所から実行委員を受嘱し、「テクノメッセ東大阪」の実行委員会に出席してきた。
もう実行委員を引き受けて20年以上経つ。
展示会も今年で26回目となる。
振り返ってみると、歴史を感じる。
今年の実行委員の顔ぶれを見ると、25名のうち古株が6名、後は新しい人が参加されていて、新旧入れ替わったようだ。
さて、この我々実行委員とは近頃はすっかり名ばかりで、そのほとんどの作業を商工会議所のスタッフによって企画され、事が運ばれていく。
実行委員として参加している商工会議所スタッフの皆さんは、新しいアイディアをどんどん出し、担当者が粛々と段取りを進めていく。
昔は参加した実行委員のメンバー同士でああでもない、こうでもないと意見を出し合い展示会を作り上げていったが、今ではすっかりお任せ状態となっている。
ロダン21では毎週水曜日と金曜日の週に二日、「モノ作り相談デー」として、
モノ作りの相談を受け付けている。
私の専門はゴムや樹脂加工だが、ロダン21にはあらゆるジャンルの相談がやってくる。
私にとって、初めて聞くこと、見るものも多い。
しかし、ロダンのメンバーに都度相談すると、大抵のことは回答が返ってくる。
しかも材質の特徴や加工の仕方、使用用途等も分かる。
様々な分野の社長、職人の専門家集団だからだ。
さすが東大阪、頼もしい限りだ。
こうやって、モノ作り窓口をロダンで開いて、今年で15年になる。
しかしまだまだ、コーディネーターとしては知らないことが多い。
つい先日も、ステンレスについて新たに知ることとなった。
ステンレスというのは、鉄を機材にニッケルとクロムの合金である。
もちろん、その程度のことは知識としては知っていた。
ステンレスでよく使われるのが18-8ステンレス。
ご存知の方も多いだろうが、この18-8ステンレスはキッチンのシンクや手術用の機器類、
その他建築材等幅広い用途で利用されている。
鉄は錆びるがステンレスは錆びない。
私の中にはその程度の認識はあったが、それ以上にステンレスについての
詳しい知識は無かった。
自然療法「森の学校」は、昨年秋からロダン21で事務局を引き受けてスタートした。
アロマテラピー、ハーブ療法等を取り入れた学校だ。
この学校を立ち上げるにあたっては、人の縁の不思議さを感じずにはいられなかった。
最初はモノ作りの街東大阪で、しかも製造業の異業種グループロダン21において、
とてもミスマッチな感じがした。
しかし、ことの発端は私が「モノ作りの根幹は農業だ。」と言い出してからだ。
地元奈良で少しずつ鍬を振って畑を耕しているうちに様々な出会いがあり、
気がつくと若い人も徐々に集まってきた。
いつの間にやらトントン拍子で組織化の入り口までたどり着いた。
今回は、そんな自然療法「森の学校」について書いてみたい。
”自然療法「森の学校」は、究極の生涯学習”
人は周りにモノが無ければ忘れてしまうものである。
昔、たくさんあった学習素材がなくなっている。
子どもたちの学習は、机の上だけでは本当の意味での勉強にならない。
実学として本物を見て、触ってみて、匂いも嗅いでみて初めて脳の中にインプットされる。
特に、多種多様な生物を復活させて学習することは、人の生命の根源を守ること
にも繋がっている。
日本では、ニッポンパラタナゴやニホンメダカ、モロコ、フナ、コイ、ハヤ等、
その他たくさんの生き物が池や川に生息していた。
しかしそれらのいくつかはすでに絶滅危惧種となっている。
今では山に入って小川を見ても、沢ガニがいない。田んぼにはカエルもゲンゴロウも、
そして蛍もいない。
私が名前を知らないたくさんの生き物達も、いなくなっているのではないか。
そしてそれらの生き物がいなくなったということは、我々人間も住みにくくなって、
やがては命を脅かす社会となっていってしまう。
そんな中、日本の国も遅まきながら、それらを守る法律だけは作った。
「生物多様性基本法」がそれだ。
分かったような、分からないような法律だ。
地球上の生物は互いに補完し合いながら生かされている。
もちろん人間もその一員だ。
しかし絶滅危惧種が多くなっていきているということは、
人間も危なくなっているということだ。
話を元に戻すと、ロダン21で始めた自然療法「森の学校」は
究極の生涯学習だと考えている。
なぜなら、そこでの学びは自然から命をもらっているということを学んでもらうからだ。
自然を大切にするということは、我々自分自身の命を大切にするということだ。
このごく当たり前のことを、生活の中で、生涯通じて学んでもらうための
カリキュラムがここにある。
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「品川隆幸の古今東西」も、2011年4月からで20回目を迎える。
しかしよく考えてみたら、肝心なことについて書いていなかった。
それは私が創業して40年を迎える、本業のゴムパッキンについてと、設立して15年を迎える異業種交流グループロダン21についでだ。
ここでつらつらと書き綴ってきたが、そもそも品川隆幸とは一体どんな奴なのかをお伝えするために、まずは私の本業である(株)シナガワについて書いてみたいと思う。
(株)シナガワは、1972年にゴムのパッキン屋として創業。水道用パッキンから電気、自動車、弱電等、広い範囲の分野へ向けて作り続けてきた。そして気がつけば40年が過ぎていた。
よくもここまで続けてこられたものだ。これだけ長い間生き延びることが出来たのは、運も良かったからだろう。
おかげさまで私は今も元気だ。
我ながら感心しているところである。
そして片や異業種交流グループロダン21は、 平成9年、異業種の融合化を促進する東大阪市の公募により集められた企業13社でスタートした。
当時の不況下では、一社だけで生き残るのは難しいと考え、異業種連携が始まったからだ。
まずは平成11年に13社で(有)ロダン21を設立。その後平成13年には株式会社化した。