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今回は、数年前にお邪魔した京都の西陣にある織り元での衝撃をお伝えしたいと思う。
西陣は、今でも伝統と技術を継承し、昔ながらの京都の町を彷彿とさせる風情が残っている。
この町に今も息づいている西陣の職人達を訪ねた。
この時訪ねた会社の工場長は、伝統工芸師として50年のキャリアがある手織の帯職人だ。
培われた技術を駆使して、次々と新商品の開発を手がけている。
そのベテラン職人が言い放った言葉が衝撃的で、今も私の耳に残っている。
「伝統とは革新の連続です。
職人技には、これで終わりということは有り得ない。
古い技術の伝承だけではいずれ取り残されてしまう。
だから私も、常に新しい帯づくりに挑戦し続けています。」
この言葉の重みは、後に知ることとなる。
さて、一口に西陣織と言っても、その背景や詳細を知る人は案外少ないのではないだろうか。
西陣織の伝統は、約1200有余年。
平安時代より宮廷の高級織物を製造管理する「織部司」がその発祥だ。
そして後に、10年続いた応仁の乱の戦火を逃れた職人たちが陣地跡に戻り、諸国で覚えた技術をもってして
京織物を復興させたことが始まりだそうだ。
西陣織の特徴としては先染めの絹織物である。
そして織の行程に入るまでに多くの準備工程が必要であり、その20を越える各工程は全て分業制となっており、
図案、意匠紋紙、撚糸、糸染などの業者が独立して企業を営んでいる。
西陣とは、中小企業の集合体なのだ。
しかし、中にはもう引き継がれていない技術もある。
織機に用いられる竹筬(たけおさ)という道具は、機織りの際に経糸(たていと)の幅を決めるためのもので、
竹で出来た細かい櫛のような形をしている。
残念ながら、今ではこの竹筬を作るための一部の行程を担える職人が、日本にはもういなくなっているそうだ。
そして心ある方たちが、竹筬(たけおさ)の復活のために研究を重ねているそうだ。
数多くの行程、数多くの職人に支えられながら伝統技術は引き継がれているのを知った。
そんな数ある行程のなかでも、爪掻本綴織(つめかきほんつづれおり)は厳格に守られた技法だ。
大変手間のかかる作業であるため、1日かけてわずか数センチしか織れないこともあるそうだ。
これもまた、西陣織の大きな特徴の一つである。