最近、世間の外食の頻度が高くなりつつあるように思う。
たまに外食を楽しむというよりも、食事という行為が外食に頼り切ってしまっている。
また、新聞、テレビ、雑誌、WEB等のメディアによる外食産業の広告宣伝も甚だしい。
どこに行けばどんな旨い店があるか、どこの何が旨いか、どこの何が珍しいか等等。
情報はいくらでも入ってくる。
そしてそうやってメディアに煽られて、流行の情報に飛びつかなくては時代遅れで取り残された感覚にとらわれる。
例えば、スーパーマーケット。
ついつい買ってしまう駄菓子や菓子パン。
色とりどりで旨そうな惣菜。
カラフルでお洒落なパッケージのアルコールや清涼飲料。
子どもがおもちゃ欲しさに親にねだる食玩。
それらが溢れんばかりに棚を飾っているのが今のスーパーだ。
それらに対して、逆にバリエーションが乏しくなったと感じるのは生鮮食品だ。
福島の原発事故以来、産地に制限があるのか、野菜の品揃えは悪くなったと感じる。
また、魚介類もバリエーションが減った気がする。
逆に増えたと感じるのが、食肉の安売りコーナーだ。
家族向けに大容量で格安の食肉のパッケージが増えた。
いずれにせよ、加工品のバリエーションの豊富さに比べて、生鮮食品は乏しくなった感じがしてならない。
料理を作る家庭が減ったからだろうか?
確かに、この便利な世の中では、家で料理をしなくても十分生きていける。
あふれんばかりの惣菜コーナーには、夕方ともなるとタイムサービスを狙った主婦の方々が、たくさん買い求めている。
主婦の皆さんも仕事で忙しい人が増えた。
したがって、出来合いの食材で間に合わせる家庭も増えたのだろう。
しかし、子どもへの食育の大切さが叫ばれて久しいが、現状はどうなっているのだろうか?
みな、楽しい家族の団らんの時間を持っているのだろうか?
とても気になるところである。
かく言う私も、若い頃は仕事最優先で、もっぱら外食や店屋物で済ませていた。
しかし齢70にもなると、身体のあちこちに不調が現れ、今更ながらに食事の大切さに気がついた。
今ではほとんど家で食事を採るようにしている。
とりたててご馳走を毎日食べているわけではないが、食卓に作ったものを並べ、一日に感謝して食べている。
毎日家で食事をし、体重や体脂肪を計り、記録する。
これを続けているだけで、メタボから脱出して平均体重をキープすることができている。
おまけに毎日快便だ。
こうやって、10キロばかり体重が落ちてみて体調がよくなってくると、規則正しい生活を送ることが基本であると痛感する。
私の毎日は、朝6時に起き、軽いストレッチ体操を15~20分ほどする。
そして必ず朝風呂に入る。
風呂温度は40度に設定し、風呂場に常備してある塩で、頭から全身へ塗りつけてマッサージする。
この塩マッサージは、やってみると分かるが身体から脂肪がじわっとにじみ出る。
毎日やっていてもやはり脂が出る。
しかし、お湯で洗い流した後は爽快だ。
特に、頭と背中をマッサージすると気持ち良い。
その後は、自家製の石けんでもう一度さっと洗い流す。
おかげで、肌はしっとりツルツルになり、髪の抜け毛も減った。
そして風呂から上がったら体重計に乗り、計った体重をiPhoneのアプリに入力する。
これを毎日の日課にしている。
昔は、三度の食事の中でも朝食は「金」の値打ちがあると聞いていたので、欠かさず食べていた。
しかも朝からご飯を二膳食べる。
餅なら3個はぺろりと食う。
そして昼も夜もしっかりと食って、その頃の体重は75キロ以上あった。
しかし、3年前に死の淵をさまよって以来、朝食は酵素ジュースだけで軽くすませるようになった。
そして新月の日には断食をする。
おかげさまで、今では身体も軽く、快食、快眠、快便、快笑。
夜は午前様になることはほとんどなく、生活のリズムが180度変わってしまった。
そして何より、家で食事をする習慣こそが、健康と活力の原点のような気がする。
元気で快調になったおかげで、家事も苦もなくこなせるし、農作業も楽しく出来る。
良い事ずくめだ。
近頃の報道で、領土問題や選挙問題等が話題に上っているが、私自身はあまりテレビを見ないようにしている。
見れば腹が立つし、身体にも良く無い。
どうも近頃の報道は我々大衆を煽っているような気がしてならない。
なぜなら、その内容は根本的な原因追及や解決策への提案は無いからだ。
問題が起これば、まずは話し合いから入るのが筋だ。
それを抜きにしての問題解決はあり得ない。
冷静に判断して、ぶれない政治を目指し、日本国の動きを国際的に示さなくてはならないだろう。
私自身は、うちでメシを食いながら、じっと成り行きを見守りたいと思う。
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