何度か佐賀県より講演依頼をお受けし、訪問したことがある。
まず最初に訪問したのが唐津市だった。
せっかく新しい地に出向くのだからと、少しは予備知識を頭に入れてから出かけようと思い、佐賀県の歴史や名産品等特徴的なものを調べてみた。
私の認識としては、唐津焼など焼き物が有名な土地ぐらいの知識しか無かった。
しかし色々調べてみると、歴史的な背景が見えてきて面白い土地だと思った。
中でも、佐賀県は明治維新で活躍した鍋島藩が納めた場所だが、この唐津は意外や幕府直轄の天領だったそうだ。
実際に訪れた唐津は、風光明媚で美しい街だった。
特別名勝の虹の松原は、距離にして5キロも続く松林だ。
防風林としての役割も果たしながら、さらにこの佐賀の海のゆったりした自然の美しさになんとも言えない陰影を与えていて、美しかった。
武家屋敷跡や商家の町並み等がしっかりと保存されており、その管理の行き届いた美しさは、とても気持ちが良かった。
古い歴史文化と自然がうまく解け合い、今でもゆったりとしたその佇まいを残す唐津は、いずれまた観光でゆっくりと訪れたい街の一つとなった。
そして昨年は、佐賀市にお邪魔した。
唐津とはまた違って、対照的な街だった。
このときは佐賀市を挙げて開催されるデジタルコンテンツのクリエイターを応援する取り組み、「つくっとサガ」(http://www.crtv-saga.jp/)のイベント、「つくっとサガアワード2011」の受賞式に講演で呼んでいただいた。
「つくっと」とは、佐賀の言葉で「モノ作り」を意味するそうだ。
いかにも佐賀らしいネーミングだ。
そのときの様子は、こちらでも紹介している。
「デジタルの先にはアナログの未来がある@つくっとサガアワード2011」(http://www.tfor2.net/2011/12/2011.html)
こちらの講演終了後、引き続きデジタルコンテンツの表彰式に参加させていただき、発表作品を見せてもらうことになった。
驚いたのは、佐賀大学、そして高校等、若者たちが中心となって受賞していたことだ。
その作品群はどれも、ユニークな発想と高い完成度のものばかりだった。
そして受賞者たちの元気さと熱気に、私はすっかり圧倒されてしまった。
また特筆すべきことは、この作品群の特徴として、随所に佐賀への深い郷土愛が感じられたことだ。
それぞれのクリエイターたちが、地域のことや特性をよく調べ、さらにそれを愛情いっぱいの表現で作り上げている。
単にデジタル技術を駆使しただけでなく、そこになんとも言えない人間味と暖かさがある。
後で県の担当者に聞いてみたら、今回の応募作品が予想以上に多くて、賞の専攻にかなり苦労したとのことだった。
しかしこの賞を選ぶ過程において県の方々も、佐賀県のクリエイティビティの高さに自信を持ったことだろうと思う。
そして私自身は、佐賀のことを何も知らなかったということを改めて思い知った。
表彰式の後の交流会では、受賞者や佐賀県の方々、そして県職員の方々が皆一同に集い、多いに盛り上がった。
私は飲み食いもそっちのけで、色んな人たちと熱心に話し込んだ。
1週間ぐらい滞在したら佐賀の良さが理解でき、住みたい街になるのだそうだ。
この交流会で得た色々な情報は、後々皆さんにお伝えしたいと思ったが、実はメモを取ることすら忘れていた。
しかし、今回得た情報のエッセンスとして、キーワードだけ記載しておく。
・葉隠れ→佐賀特有の武士の教育本
・吉野ケ里遺跡→卑弥呼伝説の地
・有田焼→実は有田焼と伊万里焼きは同じものだとか。伊万里港から世界へ広まったものを伊万里焼きというらしい。
・唐津焼
・有明のり→日本ののり生産量は佐賀が一番。
・佐賀米
・昔羊羹→昔ながらの製法で作られる羊羹。
・佐賀城→名君鍋島直正公の居城(鍋島藩藩主)。
・大隈重信公→早稲田大学創始者。
・800体もあるえべっさん
・江藤新平
・お茶 等等
まだまだたくさんあるが、その中から特筆すべきことは、近代のモノ作りの原点である「鉄」についてだろう。
佐賀では、日本初の大型製錬所を鍋島藩の鍋島直正の命で作られた。
勉強熱心な佐賀人の技術を結集して、最新式の西洋式大砲や鉄砲 蒸気機関・蒸気船までもを作り上げた。
後に九州三池炭坑、八幡製鉄(今日の新日鉄)へとつながったのではないか。
鍋島藩は自ら裏方に回り、豪放磊落で従兄弟の島津斉彬(薩摩藩)を表舞台に立たせた。
また、長崎での貿易は鍋島藩が仕切り、外国との玄関口を務め、栄えた。
明治維新でもまた裏方に徹しながらも、勉強熱心な佐賀人は新政府設立にも一役買った。
新しい日本の礎を築いたのは、佐賀人の知識と勤勉さであるとも言える。
これがまた、佐賀人の賢さである。
そしてまた、佐賀はお茶の産地でもある。
実は私はそのことを全く知らなかった。
しかし、お茶が日本に伝来した最初の地がこの佐賀である。
臨済宗の開祖となった栄西禅師が宋よりお茶の種を持ち帰り、佐賀の吉野ヶ里町にある背振山にその種を植えたのが日本のお茶の始まりと言われている。
これが現在の嬉野茶と八女茶である。
またこの佐賀のお茶が京に伝わり宇治茶となり、駿河へ伝わり静岡茶となった。
そして最後に、甘党である私には外せないのがシュガーロード(砂糖街道)についてだ。
長崎貿易の窓口を務めていた鍋島藩は、長崎から入ってきた砂糖を藩内に普及させた。
シュガーロードがあったためか、江崎グリコや森永の創業者は佐賀の出身だ。
佐賀では、当時貴重品だった砂糖を使い、様々な菓子を作ったそうだ。
中でも小京都と呼ばれる小城町では、羊羹に利用された。
それが「昔羊羹」である。
この昔羊羹は、防腐剤の無かった時代に日持ちを良くするために、砂糖をふんだんに使って長期保存を可能にした。
この表面が糖化してシャリっとした羊羹は絶品である。
佐賀は水が旨い、お茶もうまい、酒も旨い。
そんな佐賀にはおもてなしの心と作法が生まれた。
それが小京都と言われる由縁だろう。
歴史を刻みながらじっくり育まれた街は、モノ作りと文化の厚みを感じる街だ。
必見!!
壮大な佐賀城本丸で庭を見ながら、ゆったりとお茶とお菓子を味わい、佐賀のこれからのリーダーになるであろう若者たちのモノ作りや、そしてこれからの日本のモノ作りに思いを馳せるのも、また楽しいひとときであった。
新しいこれからのモノ作りは、都会の喧噪の中からではなく、佐賀のような風土が育むだろう。
ゆったりとした佐賀で何かが生まれそうな予感がする。
「つくっとサガアワード2011 受賞作品」
http://www.crtv-saga.jp/frmAwardWebPortfolioList.aspx
コメント
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